作家は、今展に対し2つの点を意識した。1点目は、見る者の視線が正面作品の“滝”に“橋”となって向かう時、滝橋が始めて成立するということ。もう1点は、俵屋宗達に対して、現代を生きる作家として何が出来るかということである。
まず[1]に対し、左右壁の作品に正面から対峙しなくて済むように展示照明をはずし単体の作品としてではなく、展示の背景の役割を担わせた。正面展示を限りなく強くしたことによって、見る者の立ち位置は点として存在したと言える。正面作品に向かう視線の橋は、限りなく美しく、それはかつて見る者を意識の外に置いていた作家の変貌の形を呈示した。
次に[2]において、茶室では揺らぐ一本のロウソクの灯にて鑑賞を強いて、見ることに対しての時間の概念を突きつけてきた。実際、地と図のない作品には多くの人が驚かされ、深い琳派の森の中に佇まされた感を抱いた。
確かに当時の宗達絵画には、理解の範疇を超えるものが多々あったが、現代の宗達を具現化するには、相応しい作品とその設えであったと言えよう。会場を離れても作者の制作にたいしてのイメージと、見た者のイリュージョンとが記憶の中で像を結ぶ展覧であった。
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まず[1]に対し、左右壁の作品に正面から対峙しなくて済むように展示照明をはずし単体の作品としてではなく、展示の背景の役割を担わせた。正面展示を限りなく強くしたことによって、見る者の立ち位置は点として存在したと言える。正面作品に向かう視線の橋は、限りなく美しく、それはかつて見る者を意識の外に置いていた作家の変貌の形を呈示した。
次に[2]において、茶室では揺らぐ一本のロウソクの灯にて鑑賞を強いて、見ることに対しての時間の概念を突きつけてきた。実際、地と図のない作品には多くの人が驚かされ、深い琳派の森の中に佇まされた感を抱いた。
確かに当時の宗達絵画には、理解の範疇を超えるものが多々あったが、現代の宗達を具現化するには、相応しい作品とその設えであったと言えよう。会場を離れても作者の制作にたいしてのイメージと、見た者のイリュージョンとが記憶の中で像を結ぶ展覧であった。
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小島 靜ニ
(すずき・しょうぞう)
1946年 大阪市に生まれる
1969年 同志社大学卒業
1970年 フォルム絵画研究所にて研修
[主な個展]
1978年 藍画廊/東京(79)
1980年 ときわ画廊/東京(81,82)
1983年 Studio 4F/東京(84)、二人称画廊/東京
1985年 コバヤシ画廊/東京(86,90,92,95,97,98,99,00,
01,03,04,05)
1986年 ギャラリー・ラランヌ/東京
1987年 佐谷画廊/東京
1992年 ガレリア・フィナルテ/名古屋(99,03,06)
2002年 小島びじゅつ室/東京(04,06)
ほかグループ展多数
[パブリックコレクション]
東京国立近代美術館(東京)、東京都現代美術館(東京)